池っち店長歴史 1
■よりによっての呪われたスタート
2000年。地方都市、徳島に「フューチャービー徳島店」が生まれました。
昔の徳島店の写真(カードキングダム時代)
最初はMTG(マジック・ザ・ギャザリング)のお店として作ったんです。何しろ加盟したフランチャイズグループが、MTG専門店のグループでしたし、そもそも当時のカードゲームショップと言えば、「MTG屋さん」でしたからね。
まだ今のような、「色んなカードゲームを売っているカードゲーム専門店」は、東京にすら殆どなかった時代です。
ですが、フューチャービーグループが他と違っていたのは、テレビゲームメーカー、ハドソンの子会社である「未来蜂歌留多商会」の作る、新しいトレーディング・カードを販売する事が「暗黙の義務である」というところでした。
(ハドソンのマークが蜂だったので、みらいばち、つまりフューチャービー)
つまり、当時としては珍しい、「MTG以外のトレーディングカードゲームも少しは売っていこう」というスタンスだったのです。
ですから僕の作ったフューチャービー徳島店は、徳島の片田舎にあったにもかかわらず、最初から「ガンダムウォー」「モンスターコレクション」「アクエリアンエイジ」「リーフファイト」等、様々なTCGが所狭しと売り場に並ぶお店になりました。
最初はMTGのお店として作ったんです。
ですが当時のMTGユーザーの「過半数」には裏切られました。お店で商品を買わず、通販で買って店で遊ぶだけ、という人がほとんどだったのです。
今でも「通販問題」はありますが、僕は20年前、最初にお店を作ったときからその問題に悩まされまていた訳です。
また、ご存じの方も多いと思いますが、フューチャービー徳島店は「徳島大学」の真隣にあったんですね。(現在は移転)
元々つまり、徳島大学生のお客さんを当てにしていたんです。大学の隣りにあるTCGショップって、うまくいく気がしませんか。
全然駄目でした。
徳島大学にも「MTGサークル」はあったそうなのですが、僕はその人達を見たことがありません。彼らは通販で買って部室でプレイしていただけだそうです。比較的閉鎖的なグループだったようです。
開店後すぐに、フューチャービー本部の勧めもあって、MTGの新弾が300ボックス仕入れられました。これだけで300万円です。
「ここでどれだけの商品が売れるのか」
というリサーチも充分ではなかった時に300万円の仕入れ。相当な冒険です。
その後僕がフランチャイズグループ「カードキングダム」を作ったときには、新規店舗に無茶な仕入れをやらせる場合、「余ったら本部が引き受ける」と約束して、
「売れるだけ売ってスタートダッシュできるように」と在庫をもたせましたが、この時のフューチャービーグループは当然、余った在庫を引き取ってくれるわけではありません。
発売した、今では悪名高き爆死エキスパンション「プロフェシー」は、45万の売上で完全にストップ。250万以上の在庫を抱えました。
オープン当時、店を作るのに僕は自分の貯金200万を使い果たし、更に300万の借金を抱えた訳です。
その上で想定外の、てこでも動かないMTG在庫250万。初めて事業を行った人間にとって「借金」は物理的にも、精神的にも大きな重荷ですが、それが当初の予定の倍に膨らんだのです。
■気のいいオタクたちに助けられる。
突破口はMTG以外のTCGにありました。
公民館を借りて、リーフファイトの大会を定期的に行っていた方が、毎週お店で大会を拓いて下さる事になったのです。
★リーフファイト画像
この、リーフファイトのお客様たちが素晴らしかったのは、
「リーフファイトは新弾が丸一年発売せず、全員が殆ど必要なカードを全部持っているのに、お店に来るたびに必ず買い物をして下さった」
という事です。
アクエリアンエイジの大会も、大盛況になりました。これもキッカケはリーフファイトです。
★アクエリアンエイジ画像
リーフファイトのプレイヤーは、アニメやパソコンゲームのオタクで、いわゆる「萌え系」の好きな方々です。
この方達が、アクエリアンエイジをバンバン買って下さいました。
最初はMTGのお店にしよう、と思って作られたはずのフューチャービー徳島店は、気のいいオタクたちが集い、気がねなく交流する「毎日がコミケ会場」のようなお店になっていきました。
ここで1つの問題が生まれました。当時のMTGの専門店は、言わば将棋教室や碁会所のような趣があり、ざわめいては居ますが一定の秩序があるのが「当たり前」でした。
決して、馬鹿笑いで盛り上がったりして良い雰囲気の場所ではありません。
気のいいオタクたちの寄り合い所になった徳島店は、「にぎやか」から「騒がしい場所(それこそコミケ会場)」になりました。
そこで一部のMTG2プレイヤーがキレたのです。
「うるせえ!!」
デュエルスペースは静まり返りました。
これは当然の反応でした。MTGのフレイヤーにとっては、徳島店が「異常」だったのですから。
そこからは常連達も沈まりかえり、徳島店は半月ほど火が消えたように静かになりました。
「うるせえ!」と叫んだMTGプレイヤーは、当店では買い物をほとんどしてくれないプレイヤーでした。
叱られてシュンとしているリーフ、アクエリユーザー達は、このお店の生命線で、僕も彼らが個人的にも大好きでした。
僕は決断を下さねばなりませんでした。
ある夜。MTGの大会が終わった時、MTGプレイヤーの一団がレジ前に集結し、直談判に来ました。
「この店はおかしい。こんなに騒がしい店はTCGショップじゃない。あのうるさい人達を追い出すなり改善しない限り、我々はこの店に来ない。」
直談判に来た人達は、「買い物をしないをMTGユーザー」が殆どでしたが、全員ではありませんでした。
先頭に立ったのは民度が非常に高く、意識的にこの店で買物をして下さる社会人でした。
アクエリやリーフのユーザー達も、何が起こったかを察し、息を呑んでこちらを見ています。
普通に考えたら、騒いでいる方が悪いに決まっています。迷惑をかけているのは騒がしいオタクたちです。MTGのプレイヤーたちは「被害者」で、オタクたちは加害者。そして両者は水と油です。
僕はデュエルスペースの全員にも聞こえるようにいいました。
「あなた達が正しい。MTGは落ち着いた環境でプレイすべき知的ゲームだし、他のお店は基本的に静かな環境だ。ここだけがおかしい。
だから明言します。フューチャービー徳島店は、『オタクたちが騒げる、他とは違う騒がしいお店』にします。」
フューチャービー徳島店が、「MTGショップ」から、「カードゲームショップ」へと脱皮した瞬間でした。
■MTGショップからカードショップへ。
直談判に来たMTGプレイヤー達は来なくなりました。アクエリのオタクたちは、安心して来れるようになりました。
僕はなぜ、このような判断を下したのでしょう。
ひとつにはまず、率直に言って、「今後このお店に必要なお客様はどちらだろう」という計算があったのは事実です。
しかし、計算だけであれば、「まあまあ」と相手をなだめすかし、「現状維持」を狙って両方のお客をとどめようとしたはずです。
今の僕なら、「事なかれ主義は最終的に双方を失う、経営センスのない馬鹿の判断だ」と断言できますが、当時の僕にそこまでの思慮があったとは思えません。
ではなぜ当時、そんな大胆で、「見えている損失」を受け入れる判断をしたかと言うと、やはり僕自身が、もうその時は、信じて、そして裏切られたMTGにある程度見切りをつけて、他の国産TCGにこそ未来がある、と感じていたからかも知れません。
何より僕は、オタクの常連さんたちが集い、毎日バカ騒ぎに興じてくれる、その空間が大好きになっていたんです。
常連さんたちが大好きだったんです。
「眼鏡っ娘」にこだわり、メガネ関係の萌えイラストを鬼のように集め、「コンタクトレンズ工場を爆破しに行く!」と宣言していた愛すべきアホとか。
いつもはお金がなくて、常に「ツケ」でカードを買うくせに、3ヶ月に一度は突然金持ちになってツケを全部払ってくれる謎の常連とか。
「本の帯を付け替えて、一番バカバカしい表紙にしたやつ優勝大会ー!」
とか、
「夜中に徳島城公園に集まってエイリアン鬼ごっこ」
とかに付き合ってくれる。
そうした、社会的には「大人なのに変な奴」が毎晩集まって、誰にも気がねなく馬鹿騒ぎに興じ、どんな萌えを語ってもドン引きされず、「馬鹿だなお前ww」で許される。
そんな、信じられないようにパラダイスを、いつの間にか作れていた事に、愛着を感じていました。
MTGの人達が半数以上去り、一時的にですが、売上は落ちました。
しかしそれを察したオタク常連さん達は、様々な企画を自分たちでも立ち上げ、人を呼び、買い物をして、お店を助けて下さいました。
そして「アニムンサクシス」というTCGが発売しました。
★アニムンサクシス画像
アニムンサクシスは当時、アマダ印刷が作った「ロボットとパイロットのTCG」です。
新発売のTCGという事で、ヨーイドンで常連たちが始めやすかった上に、萌えイラストも邪魔にならない程度に含まれた「大人の塩梅」で、何よりロボットのイラストがガチでかっこよかった。
これが徳島店で大ヒット。常連の中で、このTCGに10万円突っ込んでない人は多分居ないほどです。当店は初めて「カートンでTCGを買う人達が続出する」という事態に突入しました。
そしてここから、「萌え好きな人達」以外の「ロボットオタク」も集まり始め、当然の帰結として「ガンダムウォー」に火が着くのです。
徳島店は、毎日夜中の12時まで灯が消えない、オタクたちの不夜城になっていきました。
しかしまだ、500万円を超える借金はのし掛かっていたのです。
■遊戯王を認めよう!
話は少し巻き戻りますが、「MTGショップからカードゲームショップへ」とハッキリと道を歩み始めた徳島店でも、最初、遊戯王の取り扱いはありませんでした。
僕が遊戯王をハブっていたわけではありません。
誤解のないように説明しておきます。
当時、MTGショップとして立ち上がったお店で、遊戯王を扱っているお店は、「日本中にほとんど存在してなかった」のです。
遊戯王は玩具店、コンビニ、そして当時勢いよく伸びていた「古本屋(中古ファミンショップ)」にあるもので、カードゲームショップには存在しないものだったのです。
僕がフューチャービー・グループに入った理由の1つに、「MTGが他所よりも比較的安く仕入れられる」というポイントが有りました。
しかし、期待していたMTGの売上が振るわなかった為、様々な国産TCGに目を向け始めた経緯は、ここまでお話しした通りです。
その中には当然、「遊戯王OCG」がありました。
今の、「遊戯王で育った世代の人達」には反感を買う話だと思いますが、当時、MTGからTCGを始めたプレイヤーの、おそらく100%全員が、遊戯王をハッキリと「馬鹿にしていた」のは事実です。
漫画の「マジック&ウィザーズ」はハッキリとMTGのパクリ(ジャンプ本誌で「MTGがモデル」だと認める記事と、その代わりのMTGの広告が掲載された)であり、ルールはムチャクチャで、モンスターデザインすら幾つかはMTGのカードが元になっていたからです。
そりゃあ、MTGからTCGに入った人は、遊戯王の漫画を読んでも鼻で笑うしか無かったでしょう。
今の僕は、遊戯王がどれほど優れた「数々の発明」を成したか、ハッキリと解っていますし、世界の誰よりも「遊戯王の生み出した価値」について理論的に語れる自信がありますが(世界の誰よりも、というのは大口ではありません。)、昔の僕は、当然のように遊戯王を、当時のTCGユーザーの当然の嗜みとして、上から目線で馬鹿にしていました。
この辺りの話は詳しくは、ブログ記事「本物を伝える事の大切さVS今、評価されている物を認める勇気~僕の遊戯王に対する恥ずかしい過去~」https://cardkingdom.jp/cgame/nagaihenji2.html
で語られていますが……
この記事は何度か紹介されており、この12年の間に読んで下さった人も非常に多い記事なのですが、中身を読まず、「池っち店長は遊戯王が嫌いだ」と今だに信じている人がいることには驚かされます。
「誤解」で済む話ではなく、本当にひどい話だと思います。
言わば、「人殺しの悪人を倒し捕まえたヒーローを、人殺し扱いするようなもの」なぐらい、酷い誤解だと思います……
ブログを読んだ方ならご存知の通り、僕はそうした、「遊戯王への偏見」から、おそらく日本でも最も早く解き放たれた大人の一人だったことでしょう。
遊戯王は凄い!と完全に認め、全力を傾け始めました。
周囲の古本屋が1枚5000円で売って暴利を貪っていたサイコショッカーを、半額の2500円で販売した事を始め、徳島中の遊戯王シングル価格を破壊する勢いで販売を開始。(薄利多売ではありません。古本屋が子供相手に儲けすぎていたんです!)
店の入口は遊戯王一色。徳島店は常に、小学生たちが入り口でたむろする駄菓子屋のようなお店になっていきました。
もしMTGの「常識人」達がこの時まで残っていたら、これがトドメになっていたでしょうね。
小学生は汗臭い、騒がしいの二重奏ですから。(笑)
ここまで、まるで「悪者」の様に描かれてきたMTGのお客様ですが、全員がそうではなかった、という事はハッキリ言っておきます。
MTGの三分の二のお客は居なくなりましたが、三分の一は残り、騒がしいオタク常連さんたちとも馴染み、共存して下さったのです。
「確かに騒がしく、真面目にMTGをプレイできる環境ではないが、この騒がしさも慣れれば楽しいものだ。」
と。
オタク常連たちも、MTG勢がブースタードラフトを始めると静かにしたり、時にはMTGの手ほどきを受けたりして、仲良くしていました。
もうそこには、「MTGとそれ以外」という壁はなくなっていたのです。
話を遊戯王に戻しますが、当時、遊戯王のシングルカード市場は、カードショップではなく、古本屋、中古テレビゲーム屋の独壇場でした。
僕はカードショップとしては早い段階でその市場に乗り込み、競合店が暴利を貪っている事に気づき、価格破壊を仕掛けて勝利しました。
遊戯王を大々的に取り扱い始めたことで、小中学生のお客様が爆発的に増え、徳島店はますます騒がしいお店になりました。
そんな折り、フューチャービー本部から、クレームの電話がありました。
■古き考えとの戦い。
「MTGのお客を、理屈の通らない話で追い出した、と聞いたが本当か?」
先の「騒がしいお店にします宣言」の時に出ていくことになったMTGプレイヤーが、フューチャービー本部に「ご注進」したと言う訳です。
僕は経緯をキチンと話しました。当然ながら本部の反応は、
「それは幾らなんでも常識はずれだ。MTGショップは静かにカードゲームを遊ぶ場所のはずだ。」
というものでした。
勿論僕は引きませんでした。
「お言葉ですが、それは未来の『カードショップ』の形ではないと思います。」と。
「池田さんの所ではMTGが売れないから、仕方なくアクエリアンエイジやガンダムウォーに頼るしか無いが、それはそもそも本筋の商品ではない。国産TCGはまだMTG程完成された商品ではなく、大人のホビーではない。」
「確かに、国産TCGはまだゲームバランスもムチャクチャで、ルールにも不備が多すぎます。正しい分析だと思いますが、僕は未来の話をしています。現場に居て、国産TCGの将来性を感じます。」
「とにかく、フューチャービーグループの上品なブランドイメージにも関わる。MTGユーザーに謝罪して、静かな店にするわけには行かないのか。」
「ブランドイメージに関しては申し訳ありませんが、それは僕に首をくくれと言っているのと同じです。今のお客様たちは、『ここは騒いでいい場所なんだ』と安心して来てくれています。それを裏切って商売はできません。」
「聞けば、最近は遊戯王なんて扱ってるそうじゃないか。あんなのはTCGじゃない。」
「僕も最初はそう思っていましたが、これから先、この業界を支えていく小学生たちにとっては、遊戯王こそが入り口で、最高のTCGなんですよ。お客の価値観に合わせられずに、自分の価値観を押し付ける商売は傲慢です。」
僕は火を吹くように国産TCGを養護しました。
皆さんは「池っち店長」というと、「駄目なTCGの駄目な点をあげつらう人」だと思っているかも知れませんが、当時こんなに国産TCGを養護し、遊戯王というTCGを認めていた「大人」は他に居なかったと思います。
国産TCGのレベルを上げたい。「古いMTGの価値観の人達」に馬鹿にされ続けるTCG業界であってほしくない。
だから「ダメな部分」を叩き、「どうすればいいか提案」し、良い部分を記事や動画にして広めてきたのです。
フューチャービー本部との会話を、つい先日の事のように思い出せます。これが僕の原体験だったのでしょう。
きっと人生のターニングポイントだったんです。この日から僕は意識して、
「ちっぽけな地方店の店主に過ぎないけれど、カードゲームが少しでも良くなるように、子供も大人も、万人におすすめできるホビーになるように、力を尽くそう。」
と考えるようになりました。
本当、「何者でもない、地方の個人店舗の若造」に過ぎない僕なのに、大それた事を考えていたものです。
次回は「デュエルマスターズとの出会い」です。続きます。

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